そこに物語がある限り

あいどるとか台湾とか。とにかく好きな事もの人の話。

なみだのわけ

通りすがりのおたくですが記録させてください。

私が10ksコンで泣いたわけ。

 
以下「PRECIOUS ONE」の歌詞より
"時になぜか胸に迫るloneliness"
"いつの日にか 見つかるさ precious one" 
 
明日から個人で活動するっていうのに、こんな大勢の前で1人が淋しいと言うのかい?
ならば一緒にいなさいよ、離れなきゃいいじゃんと何度も思った。
歌を通して素直な気持ちを聞けた気がして涙が溢れた。
5月1日18時東京ドーム。
今回は格別に特別なライブであったから、そりゃ泣いちゃうよなとは思ってた。
でもそれは想像を超えていた。
 
私がジャニーズという世界を意識し始めた時、幸運にもKAT-TUNのDVDを多数持っている友人がいた為お世話になっていた。しかし私自身は気が付いたらエイトでジャニーズデビューしていた。そこからなんとなくKAT-TUNには距離を置いてしまっていた。でもKAT-TUNが東京ドームでライブをするのならば行かねばならぬ、という謎の使命感はあった。初カウコンが決まった時も、前述の友人に「絶対に行くべきだ。なんなら私も行きたい」と熱弁し、チケット手配も私がした。この使命感と行動力は、過去の自分を褒めてあげたい。
 
何かと足並みそろえがちだったY&J。
同世代という事もありなんだか気になる人たちだった。
その中で、私的TOPはKAT-TUNだった。
なんだか一味違う感は、無意識に特別感を作っていた。
強ち間違ってはいないと思うけれど、私の個人的な色眼鏡を通して見ていた事は否定できない。
 
私が初めてライブで見たKAT-TUNは5人だった。あかにしさんの高音フェイクの隠れファンだった私は、正直いうと悲しかった。リアフェで、おもい~軽い~って被せてくるの聞きたかった。その後もドーム公演は行った。しかしながら、ドーム=KAT‐TUNの方程式は揺るがないのにDVDで見てきたかたちではない事に私は少し抵抗を感じてしまった。完璧だと思っていた物のかたちが変わった時その変化に付いていけなかった。Y&Jに興味を持ってからの人数変動はKAT-TUNが初めてだった。過去に他2グループで起きた事は知っているけれど、目撃者ではなかった。だから尚、こんな不条理な事が起きてしまうという事を受け入れられなかったのかもしれない。初カウコンは楽しいが溢れていた。研ぎ澄まされた4人がはっきりと見えた気がする。私、たぐちが好きだなーってすごく実感した。けれど、ふとした瞬間に私が見たかったかたちを探してしまった気がする。ホントに申し訳ない。しかし、今回の10ksではそんな瞬間は全くなかった。正確には、そんな暇はなかった。私の心構えの違いから生まれた差ではあると思うけれど、かたちこそ違えども探していたKAT-TUNが見えた気がした。
 
こうして振り返ると、一般的にいう「距離を置く」という状況ではないのでは…?あれ?なんか認めたくなかっただけなのかもって気が付いてしまった。下らない自己主張が自身のおたくライフを妨げていたのではないか?と。自分の色眼鏡は曇っていたのかと愕然とした。身近な友人によって私の中でKAT-TUNにハマる基盤は出来ていたのに。海賊帆を初めて見たときの衝撃はいつだって鮮明だしSUMMARYでくるくる宙を回る姿も大好きで友人からDVDを借りてはそこばかり何度も見た。その基盤を自分で構築出来なかった事は後悔の念しかない。我ながらの拗らせぶりにはもう高笑いするしかない。実際ライブ中にこんな自己分析は出来なかったけれど、だからこそ見て感じた事が涙がとなって溢れ出たのかなと今思う。
 
ここ2〜3年で、変化しながら進む事が変わらないでいるより余程パワーが必要だと気付かされる事が多かった。そう実感した今、かたちを変えても守る物があるアイドルを放っておけるわけがない。私はもう興味のないフリなんてしない。気付くの遅いけどね、気が付かないまま通り過ぎなくて本当に良かった。
今はただ充電完了を待ち、彼らには幸せを感じてほしいと願うばかり。